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3月11日に発生した 東北地方太平洋沖地震。
被災地における事態収拾がついていませんが皆で結束して乗り切っていきましょう。
前回に引き続き記憶として残しておくために、今回は外出先から帰宅までで気づいた事を書いておきます。
地震発生時の東京赤坂にいた私の状況については非常事態にこそ(前編)
私のいた東京では言葉が適切かはわかりませんが、運がよくそこまで大きな被害を目にすることはありませんでした。
それでもいくつか私の中で気になる事がありましたので時間軸に沿って書いておきます。
ある程度落ち着きを取り戻した発生1時間後の状態
余震は読めない。
とりあえず倒れた物や割れたガラスなど少しずつ片付ける。
外にはまだ出ないで地震警報に注意を払いながら態勢を整えておく。
②被害の大きさを測る
東北地方は津波によるとんでもない状態。。。
東京やその近郊は火の手もそんなに上がらず倒壊も目立たない。
私は勝手ながら自分の周りの人は皆無事でいるであろうと楽観的に考えておくことにした。
(もちろん宮城に誰も知り合いがいないわけではないが。。。)
③今後の行動について話す
皆さん家族や友人など大切な人が心配なようだ。
早く勤め先から家へ帰りたいとのことだが、私はもうしばらくはここにいた方が良いと促す。
他の皆も同じ事を考えているし今は交通機関や電話回線もパンクしている。
わざわざ人が溢れかえっているところに向かう必要もない。
無理に止めなかったが親が心配で何度も繋がらない電話している女性スタッフを余計に心配し過ぎないようにお菓子などを勧めていた。
発生から2~3時間後
こちらから連絡しなくても徐々に安否の報告がメールやtwitterや電話などで届く。
状況を聞きながら今後の行動においていくつか確認しておく。
家に帰るのか、どうやって帰るのか、連絡手段など。
②帰り方を模索
ネットやニュースで交通情報を確認しながら且つtwitterで生の情報を集める。
この時点では私はまだ一歩も外に出ていないし徒歩3分以内にある駅を見に行こうとも考えていない。
混雑は見なくてもわかっていたし運転再開していないのに駅員に詰め寄っても仕方がないからである。
タクシーも考えたがテレビで、かれこれ数時間待っているのに一台も来ない旨が伝えられていたがそこまで待っている人の気もわからない。。。
歩いて帰る選択は今のところ私には論外だった。
詳しくはもう少し下記に書く。
③腹ごしらえ
とりあえずはその場にあったお菓子類(大概のOLさんは持っているじゃないかな。。。)をわけあって空腹感を満たす。
結構、追い詰められるとお腹が減ってきて、それにより不安感も更に増幅されてしまうんじゃないかなと個人的に感じています。
19時を過ぎる頃
ビジネスホテルに泊まるなどの指示もある会社も多かったようだが皆さん考えつくことは一緒です。
現実はそんな急な予約も取れるわけもなかった。
だからその場に残るか出てどうにか家に帰るかの選択になっている。
帰る方法はほとんどの人が歩くという手段であった。
東京主要箇所の中継で見ていたがその時に復旧しているバスを含めた交通状態を見る限りでは、ただの集団大移動である。
渋滞もありその隙間を縫うように人が歩いて帰宅しているから尚更に交通渋滞をひどくしている。
一刻も早く我が家に帰り大切な人がいれば傍にいたいというのは理解できる。
でも果たして数時間かけてでも寒空の中、落下物や倒壊などのリスクを背負い込みながら余震続く中、皆と一緒だから大丈夫的な発想で帰ることが正解だとは考えられなかった。
前編にも少し書いたが本当に大切な人達はあなたが傍にいてくれることよりも無事で安全にしていることを一番に望むんじゃないかな。
まあここは人の価値観だからあくまで個人的見解までとしておきますが。。。
今いるところが安全なら焦る必要はないと考えます。
勿論、現状が危険にさらされている状態ならば有無は言ってられませんが。。。
②近隣が少し静まり返っていたので
更に一時間後の20時ごろには、近隣は静まり返ってきたので目の前のコンビニへ買出しに行きました。
そこでは驚くべき光景が目に入る。。。
- レジに並ぶ行列(この時間でこれだからもっと前はひどかっただろうな)
- 空っぽの棚(弁当やおにぎり、パンは皆無)
- カゴに大人買いしている(お前ら普段そんな買い方しないだろ絶対)
最悪の事態考えたら食料確保は必須だけど東京の現状考えたらそこまで必要か?
二日、三日今の東京で何も食料手に入らなかったらそれこそ暴動だろうな。
仮に最悪の事態想定してみろよと言いたい。
それ持って逃げれるの。
逃げないとしたら倒壊していくなかでずっと食べてるのかな。
多分、周りの過度な状況に流されて行動しているんだろうなこういう人達って。。。
落ち着いたらこの食料は何?と気づくんだろうな。
ちゃんと平常に戻ったなら本当に必要としいる被災地はじめお店などが少ない地域へ送れよと心から願います。
③電車の運行再開を願う
JR様は早々に運行諦めた。(運行中止これはどうにもならないだろう)
私鉄やその他は運行見合わせ中。(見合わせ中が肝、きっといずれ再開する)
東京の現状で考えると絶えず余震はあるが徐々に落ち着きを取り戻しているし、私の考えでは大半の方々は歩いて帰ってそろそろお家に帰れた頃。
駅に人もまばらになってきているようだしもう少しできっと動くなこれはと直感している。
だからニュースやサイトよりtwitterなどの生の声を集めながら再開し始めそうな路線で如何に自宅への道筋を立てるかに注視していた。
22時過ぎる頃
もう22時だ。よく考えたらお付き合いが深いとはいえ取引先の会社だ。
帰れるなら帰っておきたい。
歩くのは反対だったがなんとか4~5km圏内までは電車で行ける事で歩く覚悟も決める。
②ナイスなタイミングで再開
駅につき目的の電車まで歩いている途中にて私の望む路線が間もなく一部区間で再開との事を知る。
これで通常通り最寄駅まで帰ることができた。
しかも空いた電車でだ。
23時頃に帰宅
必要以上には物を持たない主義だ。
それでも懸念事項があった。
・建物の倒壊と近隣の火災
倒壊はニュースにもないし近隣火災なども外から見ても何もなかったようでひと安心
・薄型テレビの落下による破損
物がない家での唯一の心配事がテレビの落下だ。
窓辺においてあるだけの状態。
床から1m以上の高さはあるので落ちていたら破損は免れない。。。しかし無事だった。
というより朝と何も変わっていない状態だった。
少しこのマンションの耐震性能を見直した。
そして改めて物が少ないことによる有意性も実感した。
一日を振り返ると
それに今も続く中、耐え忍んでいる本当の被災地の皆さんと同じ状況になった時には多分多くの東京の人達はより困難になると想像できる。
自分と大切な人達はせめて巻き込まれない為にできる限りの対策を今回の教訓などを活かし備えていこうと決めた。
- 電話以外の連絡手段共有(twitterの共有やスカイプやPCメール)
- 集合場所や個々の安全対応について確認(電話もネットも駄目だったらにも備える)
- 非常時に用意しておく物を把握(非常食や非常用バッテリーなど)
最後に。。。
それはこんな記録であってもいつかだれかの役に立つかもしれない。
どんな状況になっても冷静に身の安全を第一に考えた行動をしてほしいと願います。
多くの犠牲や今も懸命に頑張っている方々をしっかりと自分なりに受け止めていきます。
あきらめないで頑張りましょう。
日本はたくましい国だと信じています。
HAYA
非常事態にこそ(前編) | HAYA技
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